山月記 of the Contemporary

大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ

最愛の大地 を観て

アンジェリーナ・ジョリー監督・脚本による、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を背景とした恋愛映画。僕はこの背景の歴史についてよく知らない。ただ、友達がこの紛争について詳しく、現地にインターンで行ったことがあるので、一度観ておこうと思ったのだ。

 

感想。観て良かった。これから、この紛争についてよく知りたいと思わせてくれた。エンターテインメント性は低く、物語の最後は暗く、あまり楽しめる映画ではない。だが、戦争の残酷さというか、戦争における人間の精神の不思議さについて考えさせられた。民族主義的な考え方のおそろしさと言えば、平坦な言い方だが、人間がいかに民族主義を理由にして、自分と同じ”人間”を人間ではないものにすり替え、残虐な行為を可能にしていく姿をみていると、非常に恐ろしい。たぶん、僕たちも普段、気づかないうちに似たようなことをしているのだ。誰かを異常者、犯罪者、などという非人間的レッテルをはり、僕たちとは違うのだと認識することによって、安心を得ている。

あと、考えてみたら、僕たちは皆、破壊衝動を抱えているのではないか?ただ物を破壊するだけのことではない。むかつく人を殺したいだの、いい女を犯したいだの、そんなネガティブな衝動を、僕たちは心の奥底でもっているのではないか。だが、普段は”社会”の中で倫理的な制約をもって抑圧している。戦争は、そんな衝動を開放する良い理由となる。ちなみに、生徒にアンケートを聞いてみたことがある。あなたがもし透明人間になったらどうするか、と。答えの大半は、盗みやのぞきなどの、犯罪であった。ここでポイントなのは、僕は彼らに決して犯罪について書けとも言っていないのに、彼らの多くが透明人間になることと犯罪を結びつけたのだ。つまり、僕たちは誰にも見られなければ、犯罪を犯すのだ。もしくは、今生きている環境がその行為を犯罪と見なさなければ、僕たちは簡単にそれをやってのける。それが人間なのだ。

 

最後のシーン。本当にアイラはダニエルを裏切ったのか?僕は違うんじゃないかと思う。だって、アイラにそんな行動の自由があったろうか?ダニエルは、教会で誰かに襲われた後に、アイラのお姉さんを見たという。しかし、テロ攻撃をするために、ひ弱な彼女が、しかもカラフルなドレス姿で現場にくるだろうか?ダニエルはその時、爆撃のせいで混乱の中にいた。その時、アイラを疑う心が彼に幻影を見せたのではないか?そして、何故アイラは密告のことを認めたのか?二通りある。ひとつには、ダニエルの幻想だったということ。もう一つは、アイラの複雑な心理状況からでた虚偽。僕もよくわからない。この場合、戦争がもたらした精神の崩壊、愛の崩壊がメッセージとなる。どっちにしろ、ダニエルはアイラが裏切ったと信じたのではあるが、その結果、彼は精神の基盤、「自分」という存在を支えてくれるものを失った。もう彼は人なんか、愛なんか信じられないだろう。

 

よくわからないよ。でも、戦争の悲惨さは伝わった。