山月記 of the Contemporary

大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ

「かわいさ」と「甘え」

甘えの分析を理解していくうちに、一つ自分が連想して思いついたことがある。日本では、「かわいい」女子がもてはやされ、韓国では「セクシー」さが求められる。この社会差はどこにあるのか。「かわいい」とは、「可愛い」である。愛すべき対象ということで、助けを必要とするVULNERBLEで幼児のような者を指す。「甘え」の文化からすれば、日本人は他人への依存度が非常に高く、甘え、甘えられたい。「かわいい」を好むのは、こちらが対象に愛を与えることができるからで、つまり、甘やかしたいからである。甘やかすことをさせてもらっていることによって、こちらは自分の存在を他人に受け入れてもらえている、自分は必要なんだと思えるようになる。

自分があまりそういうメデイアを見ないから、実際にはよくわからない。それでも韓国の「性」へのアプローチの仕方は、日本人の基質とは異なるものがあると思う。整形手術が公然と行われることーつまり”自然”を人間の手で作り変えることに対することへの抵抗の少なさも、かなり”進歩的”な考えを持っている韓国の風潮を反映しているのかもしれない。

自分が保守的な日本人なだけなのかもしれない。性は家庭の中に閉じ込めているべき、みたいな。とても儒教的だな。あれ、韓国の儒教はどこへ行ったのやら。この違いは、いつ・どこから生じ始めたのか。面白い研究テーマだと思う。