山月記 of the Contemporary

大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ

フェイスブックについて その2

フェイスブックで何かして、それについての反応が気になって仕方がなかった。時間ロスと想像力の無駄遣い。それでいらいらしてしまった。この時点で、この、気になるって要素が、フェイスブックの良くない点だよね。

あとは多分前にも書いたことだけど、不必要に他人の情報が入ってきて、無用に自分の心が動かされ、自分になにか不安な要素があれば、そこを煽って拡大化してしまうところ。

ネットに自分を作ることができるのなら、誰だって良いイメージを作りたい。だから、みんな、自分の良いところのひけらかし大会になる。影でびくびくしながら、っていう人もいることだろう。

使っても大丈夫な時は、自分が積極的に自分を売り込みたい、というかアピールしたい時。他人に自分を見せても大丈夫、と自信があるとき。そして、そのときには他人の成功談も明るいニュースも我が事のように喜んできける。でも、もちろんそんな状態にいつもいるわけじゃない。落ち込んだり、うまくいかない時には、他人の嬉しいニュースがいらいらの原因になる。

良い所も悪いところもある、フェイスブック。でも、僕はそろそろ本気でやめようかなと思う。完全に。人生は限られているから、限られた人たちとしか交際できないし、交際し続けることはできない。保留の為にフレンズリストはあるけど、実際活用できたことはほとんどない。そして、フレンズリクエストが来て断れるわけがない。だから、好きじゃない人とも繋がっていかなくちゃいけない。なんてこった。切り捨てよう。ほんと、身軽に生きようと思う。大事なものだけ背負って。フェイスブックは可能性という眩しい光を見せてくれたけど、僕はオールドファッションで、堅実で、着実な人間関係を築いていく。あまり、周りに振り回されたくない。