山月記 of the Contemporary

大事なのは、他人の頭で考えられた大きなことより、自分の頭で考えた小さなことだ

今日のつぶやき

我慢できずに、コンビニで買った宇治抹茶入り玄米茶。使い始めたころから後悔。なんか、玄米茶とも、緑茶・抹茶ともいえない、この中途半端な感じ。しかも、安くてコンビニで売っていた。もっとちゃんとしたものをお茶屋さんで買えば良かった。。。なんだか現代の消費社会に負けた気がする。。。と思っていた。友達は新鮮でおいしい!と言ってくれたが(特にコンビニで買ったとは伏せたから。ほんとに、人って味がわからないもんですね。)そして、とにかく早く使い切ることにし、大量に摂取してきた。その結果、最近では残りもわずかに。すると何故か、惜しい気もしてきたのが不思議なところ。友達の言った言葉も頭にのこりつつ、どうせ認識の問題なんだよなー、とか考えてしまう。つまり、玄米茶と抹茶が中途半端に混ざってるのではなくて、これでおいしいやん!と満足することである。カップに半分まで水が入っているのを見て、半分しかないと思うのと半分もあると思うのと同じことである。まったく、安いとかコンビニで買った、ということだけで、その物自体の価値すら本当に安くなった気がしてしまうが、それは実は僕達の頭の中で行われているのであって、実際の価値でもなんでもない。安いものを、高価なもののように思え、大事にできるのであれば、今の大量消費社会の中では、相当簡単に幸せになれることだろう。まあ、この社会の仕組み自体が物の価値を極端に下げてしまっているから、その中で一人逆行した価値観をもつのは難しいのだけれども。食い放題形式の食事なんて、それの良い例だ。

まあまあ、そこで一言でうまくまとまる言葉を思いついた。

The more we have, the less we cherish.

お茶の事を考えながら、ふと出てきた言葉なのだが、これだけを見れば誰か偉い人の格言にさえ見えてくる。

The more we have, the less we cherish.

経済学でも、こんなもんだよな。恋愛とか、人間関係でも、このプリンシパルが通じそうで面白い。はい、そんなつぶやきでしたー。